1994年8月。ベヒシュタイン本社での研修の為ベルリン・テーゲル空港に到着。ベヒシュタインのトップ・マイスターである山内氏が空港まで出迎えに来てくれた。今回の目的はベヒシュタインの本当の整音方法を学ぶ事にあった。国内で色々な人に話を聞いても、もうひとつしっくり来ず、中には「そんな筈は無いだろう」と思うような事を自慢げに”これがベヒシュタインの整音方法だ”と言う技術者もいる
ベヒシュタインの本社工場は当時街中のビルの中にあった。ここで今日から10日間の研修が始まる。浜松のアトラスピアノ製造の工場でピアノ技術の勉強をして以来20年ぶりの本当の工場研修だ。
この広い部屋を用意してくれて、ここにピアノを一台持って来て出荷調整を行う。出荷調整を行うピアノは一旦製造ラインで仕上げた後に数ヶ月間(物によっては1年以上)シーズニングを行い、その後に塗装を磨き上げてから作業を行う。マイスター山内氏から「このピアノを7日間で仕上げて下さい。」と言われ”なめられてるのかな?”と思ったら、「私は普段5日間で仕上げます。」との事。日本の大量生産メーカーなら1日に2〜3台は仕上げてしまうのに!
一工程終わる毎に山内氏にチェックをしてもらい、次の工程へ。口数の少ない山内氏はチェックをして特に何かを修正する事無く「じゃあ次をしましょう」としか言わない。「本当にいいのか、ひょっとしたらダメなのか?」と少し不安になりながら全ての整調工程を終了。そして整音作業へ。一通り整音が終わると、再度整調作業を行う。
繰り返して作業を行うとより精度が高まって来る。そうすると微妙な音色のバラツキが浮かび上がって見えてくる。そして整音。再度整調。そして整音。
最終仕上げの整音時でどうしても創り切れない音が一つ。山内氏にギブアップと言ったら山内氏がその音を聴いて「シャンクを変えよう」と一言。そして「合うやつを選んで交換して下さい」と言って箱一杯のハンマーシャンクを持って来た。私はその一音に欠けていた音の成分を思い浮かべながらひたすら一本一本シャンクの音色を聞いて選び、交換した。”音色が揃った!” ”ここまでやってるのか!”と感動した。
ここに来て初めて知った目新しい技術などは特にない。元々知っていた技術ばかりだ。しかし改めて認識させられ、本当に勉強になった事は ”当たり前の作業を当たり前にひたすら繰り返してより完成度の高いピアノに仕上げて行く” 愚直なまでの技術者としての姿勢だった。そしてもう一つ自分自身について ”私は本当にこの仕事が好きなんだ” と改めて認識出来た。今と違い携帯電話もかかってこない、訪問してくる人もいない、メールも来ない。朝から一人で黙々とただピアノに向かって作業を行う。頭の中は”良い音に仕上げるぞ!”ただそれだけ。本当に楽しかった。
3年後にベヒシュタインに行った時、山内氏から「清水さんが仕上げたピアノはあの後直ぐに音楽学校の先生が選定して買って行きましたよ」と聞かされ感激! ”山内さん、そんな話はもっと早く教えてくれないと!”
左端:副社長(当時)・ドゥルチッチ氏 その右隣:清水 右端:マイスター山内氏
手前は山内氏のお嬢様 |